「漢委奴國王」金印字義
田和山サポートクラブ 堀 晄
日本における書道関係資料として最も古いのは紀元前1世紀の田和山石硯である。その次に古く位置づけられるのが、ここで取り上げる福岡市志賀島出土の金印である。最近北九州で弥生時代の石硯と思われるものが次々と発見されているが、いずれも1ー3世紀のもので、金印をさかのぼるかは不明である。
Wikipediaの金印の印文と解釈には次のように記されている。
「文化庁編『新増補改訂版 国宝事典』(便利堂、1976年)「考古 金印」の項では「その訓みについてはなお定説をみない」としている。
『日本大百科全書』(小学館、1984年)「金印」の項では「1892年(明治25)三宅米吉により「漢(かん)の委(わ)(倭)の奴(な)の国王」と読まれ、奴を古代の儺県(なのあがた)、いまの那珂郡に比定されて以来この説が有力である」としている。
京大日本史辞典編纂会編『新編日本史辞典』(東京創元社、1990年)では「現状では金印について問題点が多く存在する。発見者については秀治なるもの、出土地については金印公園の地がよりふさわしいとされる。また委奴国の読み方にも諸説ある。(1) 伊都国説、(2) ワのナ国説が代表的なものであろう」としている」という。
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