山陰随一パワースポット 松江の田和山遺跡
堀 晄(ほり・あきら) 元 古代オリエント博物館研究部長
田和山遺跡は、山陰随一のパワースポットであり、松江の誇りです。
何故そんな風に言えるのか、これから幾つかの要点をお話しましょう。
田和山遺跡は北東に宍道湖を望む高さ36メートルほどの丘の頂上にあります。城山が高さ30メートルほどですので、それよりも高く、松江の殆どの場所から見ることができます。つまり「松江のへそ」と言えるのです。
その構造がきわめてユニークで、日本中を探しても似た遺跡は全くありません。
こんな類例のない遺跡を壊してしまうのは松江の恥だとして保存活動が市民の手で進められ、平成13年に国指定史跡として保存、活用が進められることになったのです。
どうして田和山遺跡はパワースポットと言えるのでしょうか?パワースポットかどうかは、解釈の問題ですから、ここからは私たちの価値判断に基づくお話です(眉に唾付けてくださいね)。
遺跡の頂上に登ると、中央にある九本柱の高床住居、その周りに連なる防護柵、そして急な斜面に造られた三重の壕、これらが目に飛び込んできます。
「宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞」という記述は田和山そのものの形容と言えます。卑弥呼のような鬼道を掌るたった一人の司祭のためだけに、この田和山は捧げられたに違いありません。それまでに例を見ない巨大な宗教施設であり、これをパワースポットと言わないで何と呼ぶのでしょうか?卑弥呼の宮殿もパワースポットの候補でしょうが、残念ながら所在不明です。田和山は実証されたパワースポットなのです(パチパチパチ)。
田和山が出雲大社の前身だ!と言うのは言いすぎです。ただ、出雲地方で伝統的な建築様式が神社建築にも取り入れられたのかも・・・と秘かに心の中で納得するだけです(微妙です)。
一説では文字は知らず、ただ威信財として持っていたという説があります。しかし使い方も知らないものがステイタスシンボルになるのでしょうか?弥生時代は未開だったという思い込みから生まれた説のようです。
朝鮮の正史である「三国史記」や中国の史書によれば、当時の南朝鮮は、倭人の世界でしたから、北九州や出雲は頻繁に朝鮮の地域と接触していたはずです。
この硯の発見は、出雲にも二千年前には文字を書ける人がいたことを証明するもので、日本文化史上の大発見なのです。
遺跡そのものも、息を切らして上がって見ると十分印象的です。しかし、出土した遺物を一緒に見ると、さらに理解が深まり、神話の国出雲の代表になるだけのポテンシャルを持っていることが納得できるはずです。