日本神話の神々

田和山サポートクラブ 副会長 堀 晄

 日本神話というと日本書紀や古事記、出雲風土記の記述が思い起こされ、詳しく調べた方も多いと思います。専門家でもない私が今さら屋上屋を重ねるのもなんですから、ちょっと違った方から見てみたいのです。

 平安時代後期の東大寺に 奝然 (ちょうねんというえらいお坊さんがおられました。その当時の日本を代表する知識人の一人で、 十世紀末に 中国の皇帝、 宋の 太宗 に謁見を賜り、日本の 『 王年代記 』 を奉呈しました。

 王年代記というのは日本書紀などに記されている「一書に云う」などの文献の一つですが、散逸して伝わって おらず、 宋史に 概略が記されています 。
 「其の年代紀に記す所に云う。初めの主は天中主と号す。次は天村雲尊と曰い、其の後は皆な『尊』を以って号と爲す。次は天八重雲尊。 次は國常立尊。 次は伊弉諾尊。次は素戔烏尊。次は天照大神尊。 次は正哉吾勝速日天押穂耳尊、次は天彦尊( 日本書紀の 天津彦彦火瓊瓊杵尊:あまつひこひこほのににぎのみこと) 、次は炎尊 (書紀の 彦火火出見尊:ひこほほでみのみこと、 山幸彦 。 次は正哉吾勝速日天押穂耳尊。次は彦瀲尊 (書紀の 鵜草葺不合命 うがやふきあえずのみこと) 。凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮に都す。彦瀲の第四子を神武天皇と号す。筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に居す 云々 」

 この時代の日本最高の知識人にとって、伊弉冉や素戔嗚、天照大神が都していたのは 九州(古代名:筑紫島)の日向の 国だったのです。天津国の主、 天照 大神 は 日向 に鎮座しておられた 。そして その五代目 、 人としての最初の天皇 である 神武が 東征し橿原宮で 即位し 、 大和朝廷が始まりました。大和朝廷にとって自己の出自は天津神の国であり、 具体的には 宮崎市周辺 だったのです。

 出雲の国についても考えてみましょう。大国主は大叔母さんの 天照大神に命じられ国を譲りました。大和にではなく、天津国に譲った 、 ということは 日向 の国に譲ったことになります。もちろんその時代には大和の国は生まれていなかったのですから。

 日本( 大和朝廷 は隋書や旧唐所に記されてい ように 「 倭国の別種 」 であり、別れなのです。本家は倭国であり、日本成立後も 倭国は続いていたはずです。三世紀に卑弥呼が治めた邪馬台国がその後身だったと思われます。倭では長らく戦乱が続き、一女子を共立して王としたと魏書には記されています。 三〇カ国が一斉に彼女にひれ伏した背景は何でしょう? 彼女こそ天照大神の再来として渇望されたのではないでしょうか?都が日向だったら、そのカリスマ性は 完璧でしょう。

 倭国と日本国が暫く併存していたと考えると、卑弥呼が魏王か ら 「親魏倭王」の金印を下賜されたことが日本書紀に記されていないのも頷けます。別の王朝の話で、大和王朝とは関係ないのですから。(続きは下記のPDFファイル)

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